七味をかける

日がなごろごろ

衝動2017


まだ焦っている。



バイトを辞めたら暇になって落ち着かない。
就活が終わったらやらなきゃと思うことがなくて落ち着かない。


昔高校時代に推薦が決まった後、周りが受験やらなんやらしている中でこれでいいのか、という気持ちになったのを思い出す。

特に頑張らなくったって生きていけるのだけど本当にそれは面白いのかって思ったり、でもそれはただプライドが高いからそう思うんじゃないかと考えたりする。



大学四年は大学の最後でもあり学生の最後でもある。
人生が終わるわけじゃないけど、まだ私はそういう風に「終わる」ということがいまいち実感できないでいる。


旅行は好きだけど私の逃避の手段でもあって、バイトをしてお金を貯めては旅行の計画を立てている。
次は大阪だ。


見れるものには限りがある、時間は有限、他人の処理能力と自分の処理能力には差がある、のは分かっている。
それなりに自分が恵まれているのもわかっている。

だからといって現状満足したら友人Cに顔向けができない気がする。
旅行に行くのは足掻いてるのかもしれない。もちろんただ楽しいのもあるけど。





これは大阪に行くまでの話。

そうやって8月9月やってて、気がついたらこの記事も公開しないまま大阪に行って、それはすごく楽しかったけど、反動みたいに10月何もしないでいる。



初めてこの前、ランニングをした。
前向きに運動に取り組んでいる、取り組み続けている。体育教育の敗北を感じる、集団競技なんかただの同調圧力ですよ。体重は4キロ減った。
思ってたよりも長く走れた、少し嬉しかった。



此の期に及んで週三回学校に通っている。
学費がもったいないからっていうのは言い訳で、本当にただ何かやりたかっただけな気がする。タガログ語やってるの本当によくわからないな。
マガンダ シ マリア。



バーで働き始めて2年たった。
入った時1番長くいた先輩に並んだ。似顔絵は多少上手くなったのか。おっさんあしらいは完全に上手くなった、多少落ち込む。
ご来店の際には是非ブルームーンを。



久しぶりに献血に行った。
血を抜かれながら「ポップコーンマシンいい加減部室に持ってかないと後輩に怒られるなあ」って考えた。多分献血はやり続ける気がした。
血を抜かれると健康になれる気がする。



内定式があった。
はるばる新幹線と電車を乗り継いでそこそこの田舎に行った。早起きと緊張疲れで立ったままうたた寝した。同期と完全に打ち解けるのはいつの日か。
働きたくて働きたくない。



大阪に行った。
もうすぐで10年の仲になる友達と旅行に行った。結局旅行の楽しさは時間の流れとベクトルが一緒かどうかだと思うわけです。思ったよりも2人ともご飯食べなくなったなあ、時の流れ。
ひよこと行く旅。



姉と喧嘩をした。
言い返したら大分泣きそうになっていて、なんなの、と思いました。家族じゃなかったらこの人に近寄ることはないんだろうなあと常々考える。頑張ってパラサイトシングル。
多分1番最初に私が家を出る。



また油絵を描いている。
影響されやすいんだ。何かを作る人が羨ましいのは昔からで、それを目の当たりにしてからやる気が出る。元気が出てきた。夜中にマックに行け。
発行おめでとうございます。



逆にね、美は乱調にあるし、やっぱり暴動を起こすわけよ。


思ってたよりも色々していてウケた。思ったよりも人に会っている。








大学生、結局楽しかったな。三月までこの気持ちでいるといい。


あ、卒論のアンケート、みんなよろしくたのむ。


https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdEaxz6N-ecFAfCjGex6S25kLgwBbpr65qKnRQE85vJJy4gEQ/viewform

青春18切符で旅行してきた


学生のうちにしてみたかったことの一つ、青春18切符での旅行をしてきました



以下記録

1日目(夕方から移動)
東京→宇都宮→郡山


宇都宮で餃子とビール
前来たときはビールは好きじゃなかったということを思い出し、1人ニコニコしながらのんだ


お土産に餃子ポーチを購入(ろくにものが入らない)


郡山まで移動
漫画喫茶で寝ることにした
よくよく考えてみたら漫画喫茶、行ったことないかもしれない、思ったよりも快適だけど思ったよりも漫画を読んでしまってねれなかった

カウンターのお姉さんはやたらなまっていてやたらかわいく色が白かった


2日目
郡山→仙台→作並→仙台→さくらんぼ東根


郡山では朝ごはんのためにパン屋へ



なんだか手作り感のある優しい味だった


宮城峡蒸溜所に行く。
樽から甘いお酒の匂いがしたのに感動した。


有料試飲が安くて美味しくて気がついたら2万円分の酒を購入していた(バーからの頼まれ物もあるけど)


その状態で牛タンをたべる、日本酒を飲む
恐ろしくこの日は酒を飲んでいてよく電車にちゃんと乗れたなと思う

さくらんぼ東根の宿がやたらといい匂いのシャンプー(紅茶の匂い)だった
ふとんふっかふっかでよかった


3日目
さくらんぼ東根→余目→鶴岡→新潟

ホテルで朝ごはん。
さわらが美味しかったし、看板が手作り感が溢れていてよかった。
結局ここの宿がいちばん好きだったかも


余目は乗り換え待ちで暇だったので駅前まで、結構美味しそうなものがいっぱいあった。コーヒーで休憩する。


鶴岡から加茂水族館へ!
それなりに混んでた。
けど十分見れた気がする。2周した。

クラゲめちゃくちゃ綺麗だった


館内レストランはクラゲ定食とかいろいろあったけど庄内丼をたべた、ご飯食べながら見る海は天気も良好でサイコーであった


この日は新潟まで電車に乗る。
電車に乗る醍醐味は車窓から見る景色だけど、この日の夕方から夜がいちばん綺麗だった。
海沿いという良さ…

この日は新潟駅の本がいっぱいある宿に泊まる。


4日目
新潟→十日町→まつだい→越後湯沢

この日はトリエンナーレが目的だった〜〜!
時間がギリギリすぎて本当は有名なバスカレーを食べたかったんだけど駅弁を買った、これはこれでよいものだ



けど結構力尽きていた(ていうか荷物が酒で重かった)
本当はもっと見たかったな、やっぱり車で行くべきだと思いました



この日はへぎそばをたべた
疲れ切っているところだったけど結構復活した


温泉に入って死んだように寝た



5日目
越後湯沢→長野

けっこうここは無駄遣いといえば無駄遣いだった笑
でももう切符を買うのもお金チャージするのも面倒だったし、元は取れた感あったので普通に移動した



お昼についてジャミラ(仮名)と合流して喫茶店で目玉焼きメンチカツ定食を食べた



この日は善光寺観光、結構混んでいた。
綺麗にちょうどいいバランスの観光地だと感じた、極度に観光地化されてなくてよい



6日目
長野

車借りて白馬まで〜〜!
天気はあんまり良くなかったけどよいのです


飯を食べて


ロープウェイに乗って



百合を見て(霧がですぎて事件でも起こりそうな雰囲気だった)


駐車の練習をめちゃくちゃした後にジャンプ台で記念撮影をした





書くこと多すぎるので簡略化して以上とする
箱根とか九州とか、夏満喫したのでまだまだ書きます…

ダイエットをしている


ダイエットをしている。


大ニュースである。

私は小学三年生から運動を諦めた人間である。
それまではプールに通っていた、泳ぐのは好きだった、泳ぐのぐらいしか好きじゃなかった。


生来の運動音痴もあり、運動への苦手意識はこじれにこじれていった。
さらに私の進学した中高にはプールが無かった。つらい。

集団競技ってマジでなんなの?滅ぶべきでは?





そういう訳で10年あまりそのような忌まわしきことを避けて生きてきたわけだが、私にも転機がやってきた。



恐ろしきほどの暇である。



暇は人をなにか衝動に走らせる。


本を読んでみたり絵を描いてみたり寝てみたりスマホの画面を見つめてみたりしたが、拭えぬ焦りがそこにはあった。




元来の生物としての本能がそうさせたのか、私は運動という失われた機能を取り戻そうと立ち上がったのだ。





運動し始めて20日余りがたった。



なんとくびれができた。
いや、今まで無かったのかよ、というツッコミがあるだろうが、無いもんは無かったのだ。


限りなくなだらかなラインがややなだらかなラインになったのは大方の人からは小さな一歩かもしれないが私にすれば大きな一歩なのだ。



30秒しかできなかったプランク(腕立て伏せのような姿勢をキープするもの)が2分までできるようになった、と嬉々としてバーのお客さんにいったら笑われたがいやマジでこれは感動なのである。


同時に食事メニューの記録を始め、気にしたことの無かったカロリーを目の当たりにし、驚愕したりしている。
カツカレーのカロリーの多さよ。ああカツカレー。
ご飯が大好きなので、やや修正、くらいです。制限は無理です。勘弁してください。




現在私はまだ外で運動することができていないが、
後々はプールデビューでもしたいものである。
小学三年生の時に止めたプール。


今こそ回帰の時である。



めざせ5kg減、こういうことを書くのはすごくカッコ悪いけどもでも頑張ると決めたので…




それでは。

困った時の話題リスト

気候の話


あたりさわりのない芸能、ニュースの話


今日何食べたかの話
(お店で食べてきたらオススメの店が聞けるし自分ちで作ってる人ならこういう風に作るとうまいという話が聞ける)


今日(昨日)何してたんですかという話


そういえば実家どの辺ですかの話
(派生、今どこ住んでるか、どこで働いてるか、その辺に何あるか)


映画もしくはテレビ、漫画の話


最近いいことはあったかという話


あっという間にもう〇月という話
(今忙しい?何してる?的な話)


そういえば〇〇ってなんなんですか?という話




糸口はなんてパターン化

思い出したら追加する

砂糖とスパイスと素敵なものをいっぱい


ものを並べるのがすきである。


五十音表だとか図鑑だとか、見ているだけでたのしくなる。
全能感があり、攻略本めいたというか、世界の仕組みを知ったような気にすらなる。


しかしながらそれは分類でしかなく、面白味は大変あるがイマイチ形式張っている点は否めない。
あとはやり尽くされているような気にもなってしまうのかもしれない。



ここにもう一つ観点を追加すれば多少の新奇性を帯びる。
別にそれはなんでもよくて奇抜なのか灯台下暗しなのかはわりとどうでもよい。
パワーパフガールズパワーパフガールズ足らしめているのはケミカルXの力が大きいよね、という話なのだ。

ベタはベタで最高と思う自分がいる。
ベタがあるからこそそのイレギュラーは輝くのであり、王者がいるからこそ挑戦者は挑めるのである。




でもやっぱりベタは最高で同時に何か物足りない部分がある。
どうしてかといえばそれは完全に自分の性分であり、直球よりも捻くれてる人やモノに惹かれてしまうのは同族意識であるとかそういうものに違いないのだった。




久しぶりにブログを書いた、燃え尽き症候群というわけではないがなんだか景色はもっと見えなくなってきた、先を登るしかない


アメトーク、元今が旬芸人に出ていたアンガールズ田中いわく、「100点の話を出し尽くしたら、70点の話を磨いて新しい話のように出す」ということらしいのでがんばりたいですね。

夏がはじまる


黒い服を着ていたところ、飼い犬がこれでもかと私にすり寄ってきて結果毛だらけになった。


さらにその状態で犬は身震いをし払われた毛が私の顔へ降り注いだ。


毛、抜けすぎでは?



ともかくとして、そんな犬の換毛に夏という季節を感じている。

足首を出していたらやたらと蚊に刺されたり、
汗がやたらと気になったり、クーラーを効かせすぎてやたらと寒い電車にキレたりしている。

私は今日誕生日を迎え、22歳になり、平成7年7月7日生まれであるのでポーカーでいえばフルハウスでそこそこつよい役となるのではないかなどと考えたことは傍においておくが、


ここが今日主張したいことで、「誕生日があること以外に夏の利点が少ないのではないか?」という話である。
というか私は誕生日があるからいいが、無い人も多数であるし、それどころか夏休みに誕生日が被る人は祝われにくいのでむしろマイナスだ。



小学生や中学生の頃こそ夏休みは待ち望まれるものだった。
プール、クーラーの効いた中でのゲーム、一日中ごろごろしてすごすこと、夏祭り、かき氷で舌が変な色になる…
しかしながら夏休みは年々その存在感を無くしており、響きがイイということ以外期間においても気候においても大学生の春休みには敵わない。


なんてったって夏は暑いし、上着がないからポケットがないし、クーラーは寒いし、喉の渇きから行きの電車でペットボトル一本を消費して目的地でもう一本買わなきゃいけないし、虫は多いし、くっついてきた犬は暑いし、麦茶はおいしい。
麦茶はおいしいはプラスポイントだが逆に言えば暑いからこそプラスポイントになっているだけでプラマイゼロ、マッチポンプである。



これだけ文句を言っても夏はやって来るので、早急に対策を練らねばならない。
流しそうめん大会を実施するとか。



それでは。

観光と物語の親和性

レポート供養シリーズ。




観光は果たして「どこかへ行く」だけのものであろうか?

いや、そうではない。現代では、観光研究のジャンルも心理、経済、社会現象、と多岐にわたる。その一角に土産話分析がある。我々は観光現象をただ「行って楽しむ」というだけではなくて「旅行体験を共有する」(=土産話)という手段をもっても消費しているのだ。自明の理ではあるが何かを伝えるという手段として伝聞があり、土産話はコミュニケーションとして自己承認欲求を満たすと同時に他人に観光を疑似体験させ、また旅行動機を喚起させる要因にもなり得るのである。

そのような観点から見ると、物語をはじめとするエンターテインメント媒体はたとえその目的で作られていないとしても土産話と同じ効果を発揮するのではないか、と考えられる。


まず第一に物語は聖地巡礼・歴史の追体験としての観光という事例を生じさせる。日本において観光の発露はお伊勢参りなどの巡礼とも言われており、古くからある観光の形である。その土地の縁起、造詣を知ることでより深く我々は旅行に没頭し世界観に入り込むことが可能になる。

次に物語は「過去への旅行」という本来ならば不可能であることを可能にするという点を挙げたい。現代ではエンターテインメントとして分かりやすく旅が提供されていることがしばしばだが(テレビ番組・体験記等)、時にはそこに嘘・誇張が含まれる。我々はそれを傍観者・観客という立場で享受し、ある種全てを把握できる視点でそれを楽しんでいる。それは実際の旅行より秀でているることも多い。実際に起こらぬことが起こったり、語りの時系列を変えることで一番面白い順序で提供するからである。要は「美味しいところだけ」楽しむことができるためだ。


そして物語は我々に語りかけていくだけではなく、新たな物語を作っていくということも主張したい。
前述の通り、聖地巡礼という形で我々が観光を行う。現代ではこのような体験を発信することは容易である。その時、感情や新たな発見あるいは解釈が生まれる。それは蓄積されて情報として次の人へ受け継がれていく。
また行動することだけではなくて想像で続きを作ること、あるいは他のものと組み合わせることも新たな形だ。二次創作というものが昨今ではメジャーになったが、我々は元の世界観・背景が共有されていることでさらに世界を広げていくことができる。

このように物語は「何かを伝える」作用が大きいために、観光という手段においてもそれは例外ではないことが明らかである。そのような意味で言えば物語は過去の人々の旅行記であり、その名跡であり、そして我々の旅の出発点なのである。