七味をかける

日がなごろごろ

深夜から抜け出せないインスタントラーメンと朝を迎えたコーヒー


不摂生な人間である。

夜更かしの好きな子供だった。年の離れた兄や姉がいたから、という訳ではなくて、単に父が夜型の人間だったことにルーツがある。

末っ子の私を、当時の父はそれはたいそう可愛がっていたように思う。兄と姉が思春期を迎え、唯一親の買い物について行っていたのが、一緒に布団で寝ていたのが、私だったからかもしれない。車でイオン、あ、当時はジャスコ、まで行き、食べたいものを食べさせてくれ(よくフードコートで銀だこを食べた)、なんでも欲しい本は買ってくれた(小学生時代が一番本を読んでいたのではないかとさえ思う、ジャンルは青い鳥文庫とファンタジーもの)。確か兄が「俺にはそんな甘くなかったのに」とちょっと拗ねていた記憶もある。ともかく、父は素直で成績が良く、本をよく読む私のことを贔屓していたのだ。

そんな父は夜にテレビを見るのが好きで、といっても深夜帯にやっているよくあるバラエティではなく、録画しておいた宇宙や遺跡の番組が主力選手だった。よくは理解できていなかったものの、私もそれを楽しんでいた。マヤ文明アステカ文明に興味を惹かれ、自由研究でまとめたことがあるくらいには(一方で母と一緒にビーズで指輪を作ってこれまた提出しているのだからなんだか当時のほうがよっぽど自由であった気がする)。
ちなみに母はというと朝方の人間であるので、すぐ寝てしまっていて、だからもっぱら私と父は二人で起きていたのだった。

それから、父はちょっとふくよかな体型であり(昔はイケメンだったらしい、母の惚気)、だから、というかそれが原因だったのか、夜のテレビタイムのお供になにか軽食でも、ということもしばしばだった。まあ教育には良くないのかもしれないが、私もご相伴に預かることが多かった。

そんな時間が私は大好きであった。夜にいけないこと、「お母さんに内緒のこと」をしている。なんだかそれだけで大人になったようなつもりになったのだ。日付が変わるか変わらないかの時間に、インスタントラーメンを食べる。お母さんのごはんも美味しいけれど、お父さんが作るインスタントラーメンだって、美味しい。

だからか、私は夜食が今でもちょっとだけ特別な気がしている。

父も年をとり、健康に気を使うようになり、一緒に夜食を食べることはなくなった。父と布団で一緒に寝るのはいつの間にやら姉が連れてきて今やうちの一員のロジャー(チワワ)である。
私はというと、相変わらず夜更かしが好きだ。ただ、夜のテレビタイムには録画していたアメトークを見ること。家を抜け出し終電間際の電車に滑り込んだりすること。父は知らないだろう。知っていて知らないふりをしているのかもしれない。

「身長が大きくなったな」と、何度も言われる。いつまでも野菜が嫌いだと思っている。たぶんずっと私は父の前では子供なのだ。



むかしは飲めなかったはずのコーヒーを飲みながら、そんなことを思いました。
徹夜するとおセンチになっちゃってやーね。

おはよう、おやすみなさい。