七味をかける

日がなごろごろ

行きつけの店への憧れ


行きつけの店ってカッコ良くない???




画像はイメージです。


大人への憧れというものがあるので(相対的概念であるのでたぶん小さい子から見たら私は大人にあたるのだろうが)、「行きつけの店」というものにもなんとなくイイな、と思っている。


私にとってピアスもそうだったし、コーヒーのブラックもそうだし、タバコも「大人」的なものである。
そうして「行きつけの店」もその記号の一つなのだ。


「行きつけの店」がなぜカッコ良く見えるのかを考えてみると、たぶんその人が確固たる自分を持っているように見えるのではないかと思う。
変ゼミの登場人物である市河さんが「どんなこだわりも突き詰めればイズムになる」と言っていて、読んだ時にまさにそれだー!と得心がいった覚えがある。
おしゃれイズムがおしゃれなのはイズムのある人が出るからではないか(そのまんまやないか)(どういうことやねん)。


ともかく、「行きつけの店」に憧れている。
そしてそれはできるならば「バー」か、「喫茶店」がいい。なんとなく。偏見。パンケーキ専門店ではどうにもそう思えないのはなんでだろう。やっぱ偏見だな。


というわけで喫茶店に行った。この店は二回目。
落ち着いた感じ。静かな店内。良いぞ。良いぞ。
と思ったけれどもコーヒーを飲みすぎるとお腹が痛くなるので、イマイチ決まらないのだった。
次はクロックムッシュが食べたい。
目指せ常連。


背伸びにしか見えないのだろうけれど、背伸びをし始めないと、それに慣れることは永遠にないのではないかと思ったりする。
慣れることと好きは似ていて、例えばよく食べるから好物なのか、好物だからよく食べてしまうのかというのは、ちょっと考えてみると微妙なところだ。
家のご飯が一番好きな味になるのはそういうところにあるのではないか。とか。



ある日「行きつけの店」もしっくりくるタイミングが来る。と、思いたい。