七味をかける

日がなごろごろ

人を忘れる


バーで働いているとお客さんの名前と情報を覚える必要がある。

誰しも覚えられていればそれだけで嬉しくなるものなのだ、たとえ覚えられているのが名前だけであっても。



やっぱりよく来る人は覚えやすいし、それから変わった人も強く印象に残る。

でも、転勤であるとか、仕事が忙しいとか、逆に退職したとか、何かの都合上あまり来なくなってしまう人もいる。
そうなると段々と記憶は薄れていくのだった。



こういうのは自転車の操作と一緒で、忘れることはない。
ただし普段の生活の中で「使わない」の引き出しに入ってしまうのだった。

別にお客さんに限った話ではなくて、これは会わない人会えなくなった人とか、今しなくなってしまったこと、とかに当てはまることだ。
だから懐かしいとか久しぶりとかそういう言葉が出てくる。
しょうがないことなのだけども、少し寂しい。

used toの構文思い出した、わー使ってない頭。



ただ突然思い起こしたりもする訳で、
お風呂に入ってるときとか。寝てるときとか。
夢の中にその人が出てくるのは会いたいと思われてる証拠だったか。

今度は古文の授業を思い出してしまった、これもまた懐かしいのだった。
駿河なる 宇津の山べの うつつにも 夢にも人に 逢はぬなりけり だ、なつかしーい!

やたらと高校の時のことを思い出してしまう、いつか大学のことも過去になるんだな。
終わってしまえば全て遠い話。

こういう記憶と違って、いつでも会えるしいつでも会えないのが人だし、自分の体は一つしかないのでとてももどかしい。
こうして会いたいおばさんと化すのだ。



懐かしい人に期間が空いて、もう一度会った時にマスターみたいに久しぶりって言えるだろうか、まるで知らない人みたいになってしまったら嫌だな。
といいつつも連絡を取るのに尻込みしちゃうこともあるし、なんと人間めんどくさいのか。
私は会いたいよ!

変わっちゃったねなんて言わないで、変わるのは当たり前だから、それは置いといて美味しいもの食べたいよ!


無性に聖歌を歌いたいし、あのダサい制服を着たいし、近くのコンビニで買い食いしたくなった。



今日はSHISHAMOちゃんの「中庭の少女たち」を聞きながらかきました、以上。