七味をかける

日がなごろごろ

あるある言いたい


タイミングというものがある。


よく私は生まれたタイミングで運を使い果たした(平成7年7月7日生まれ)と言っているんですけど、
そう思うのも自分は当たりたくないタイミングで物事は当たるし、ガチャガチャで一番欲しくないものが絶対当たったりするからなんですね。
しょうもねえな、概ね幸せなんだけれども。


それは関係ないとしても、これは色んな人のあるあるだと思うんですが、何かを買ってからそれ以上良いものや、その時より安いものが見つかったりしませんか。
あの現象。


卒論終わってからドンピシャな参考文献見つかるよね、ウケる、教授教えてくれよ。責任転嫁。
学校のおすすめ図書コーナー、侮れませんね。



兎も角、その本の中にですね、物語の筋はあらかじめ決定されたものではなくてなにか行為が実現して次の行為の可能性が出現して、またその中の一つが実現することで可能性が…と展開は選択肢が実現して終了してまた可能性が出てくるという複雑な連続ね出来ているみたいな文章があるんです。


とすると、現実を舞台として捉えたら、買った後や物事が終わった後にもっと良いものが見つかるのは当然なのかもとおもいました。
失敗は成功の元であるとか言うけど、可能性が生じるのは過去の選択の結果なんでしょうね。




すっぱい葡萄的でアレですけど、卒論の後に本見つけてよかったナ〜〜と救われました、後で買おっと。

ナラトロジー入門、おもしろいよ!