七味をかける

日がなごろごろ

相変わらずわけの解らないことを言ってます


一緒に住むと話した子に、何か同居にあたりやらないでほしいことはないかと聞いた。
「お風呂場で鼻を噛まないでほしい」と言われた。
なるほど。


風呂はこの世において気分転換を担っていると思っている。

飲みすぎて気持ち悪い時(インハーシューズでも言ってた)。
どうしようもなく会社に行きたくない時。
ひどくやる気がない時。
泣いてしまいたい時。

この時間になると、昔のことをよく思い出す。
最初に勤めた会社のこと、大学のこと、高校のこと、やり直したいかどうか、そうしたら人の縁はきれてしまうしな、とか。


人は考える葦である。
そうなるともはや眠れなくなってしまう。
人に東京百景を勧めたこともあり、もう一度読み直すことにした。

読み進めていくうちによくわからない寂寥感があり、風呂にかけこんだ。

築40年のボロアパートは黄ばみがあり、水はけも悪い。
それでも温かいお湯を浴びるとなんとなくほっとするのだった。
泣いてしまえばすっきりするのではないか、と思ったが気味の悪い声がでるだけでどうにもならなかった。
肌荒れが治ったかどうか見るために鏡に目を移したが、湯気で曇っていて何もわからなかった。
もう出るか。鼻を噛んで、しまった、となった。


この時期で既に室温はかなり低く、寒い寒いと口から出ていた。
慌てて服を着ていたら同居人は寝こけていた。
アホそうに布団にくるまっている。


いろいろな「何故」、は頭の中を巡るがもう答えが出ないこともあると私は知ってしまっている。
いろんなことに蓋をしてそれでも生きていくのだ。




死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがある時までのフリなのだ。

また蓋が開く時がくるだろう。


今日はくるりの東京