七味をかける

日がなごろごろ

構図


できることからやらないから焦っているだけで存外目の前の事を崩していけば山はちょろい

洗濯物ってそういうところある



1.
洗濯物から逃げて天井を見上げるのもよい事なのかもしれない

昔ピアノの先生に、私はずーっとぼーっとしてしまってこれでいいんですかね?という話をしたことがあった
先生は何も考えてないっていうのは「勝手に脳が片付けをして積み上げてる作業をしていることだ」ととして、「それは思案を深めるということになるから利点でもある」という話をしてくれた

なんか詳しい根拠などは覚えてない(あるのかもしれんが忘れた!)が、きっとほうけてる時間に積み上げられるものもあるだろう


2.
自分のも含めて、周囲の人の2018年のブログを読みに行った、転機の年だから

それを受けて以下おもったことざっくり

やはり風景の切り取り方は構図になりその人の視野として我々の目の前に存在する
ただしそれを映し出す我々の目、自体も視座というものから逃れられはしないのです

だってこの話書いたときに読んだ人が何を受け取るかなんて分かんないのよ、おもしろいね
敢えて語らないことを選ぶことによって行間が違う意味を為している
今何考えてるかな

鏡の中の鏡


3.
日付変更!
タイミングてめちゃくちゃ大事で、
時系列をいじることによって世界は容易に変化するしそれは会話においてもそうだなと思う
錯時法というやつです

ナレーションて物語世界において大きな役割があるよねという当たり前の話


4.
インセプションの先入観、固定概念を崩すこと…みたいな話(要はそれがインセプションなんだけど)怖いけどめちゃくちゃ「理解」できるんですよね

①容易では無いけれども論理を破綻させることって抜け穴的には可能
②感情には勝てないようには思える、という先入観
③大丈夫だとおもってものび太くんみたい「助けてドラえもん」はよくある
④ご都合主義的解決もあり得るのですよハッピーエンド(トートロジーぽいな、結論は?)

結局それって全部運命てやつ、this is 運命
というふうに仮託してしまえば楽だが、
今日も意味がないような思案をめぐらせている

多分流動的なものでしか無いのだ、宇宙は膨張しているから
でも「考えることについて」ってそこが好きなのかもしれない

↑文章が破綻しているが脳内ってこんな感じじゃない?




いつまでもドキドキしてたいわね


今日のテーマは白瀬百草ちゃんの、「ななちゃん」