七味をかける

日がなごろごろ

花と花束

酒入れたらよく喋っちゃうんですよね、普段からよく喋ってしまうけれど、余計に



1
物語においては選択の連続しかなくそこに時間の概念は存在しないという話を読んだ

過去当事者であってもそれを語る時私達は登場人物であり、語り手だ
語り手は時間を操作して話し、また登場人物はそれを知覚していないため驚くなどという、感情を得る

また、構成要素を全て語っても花束を示したことにはならず、花の位置関係まで分かって初めて花束になる

断続的な出来事を繋いで意味を見出せるのは全てが終わってからなんだなあ


2
分かりやすいことは果たして悪なのか
人の思考は存外単純なので空間設計によって規定されることも多い
ゴミが捨ててあれば座りたくないし、常に清潔な空間を汚すのは躊躇われる

それを考えると自分の考えを伝えたい場合重要なのは確固たる意思でもなんでもなく、どちらかといえば示し方の問題なのだと思った

文脈を共有している関係は楽しいんですけど、もし自分が多くの人にそれを伝えたいと思うのであれば
分かりやすく在らねばならないのですよね



3
また電車で文章を打っている
電車は不可避に何処かへ進んでしまう象徴なので、
人の気持ちも展開するし殺人事件も起こる

ダージリン急行見たいな


4
人から言われてはじめて無意識に変化してしまうことを恐れていると知った

わたしのなかで知人は全て上書き保存ではなく別名フォルダ保存されていて、時と場合によって使用されている、というような感覚がある
そうなのだけれどその役割、というものが変わることは実際多々ある

ただ時が流れてしまってなにか違うものになってしまう気がしていた
蓄積されたログは残っているし消えることもない



5
最近は扇風機に当たりながら夏を感じている
夏はめちゃくちゃに面倒くさいのに一方でどこまでもいとしい
床に寝転がると猫と同じ目線になれる

やさしくてさみしい日常がすき
思いの外、伝わっているものだと思って結構恥ずかしかった
否、嬉しいのですが




今日はチャットモンチーの「ここだけの話」