七味をかける

日がなごろごろ

風呂に入ることと滝行の相違

ぼんやりとしている時間が多い方だと思う。
とくに風呂に入る際、それは顕著になる。
お湯に浸かっていてもだし、シャワーを浴びていても雑念が次々に浮かんできて、気づけば何もしていないのに時間が過ぎている。



一方で滝行。Wikipediaによれば、

滝行(たきぎょう)とは滝に入って行う修行のことである。

そのまんまだ。
またその意義については、

滝という激しい水の中では雑念が湧く余裕すらなくなる。精神統一が行いやすい。
自然と向き合い自然と一体化する体験を得る。

ということらしい。


何が言いたいかというと、シャワーを浴びるという行為は、そのビジュアル面は滝行に似てるよなあって話だ。
でもその割には雑念がやたら浮かぶシャワ行(と呼ぶことにした)と、雑念をなくす滝行、意味合いは全然違ってくる。さらに言えば、シャワ行はものすごく日常的にするが、滝行は全然日常的でもないし、したくもない。


しかし「滝行 シャワー」で検索すると、滝行代わりにシャワ行をする人はいるようである。
ただし、温水ではなく冷水で。
ここから、滝行を滝行たらしめているのは「冷たい冷たい冷たい」と「痛い痛い痛い」という要素であることが分かる。選択肢がなくなる、雑念がわかなくなる、精神統一、無という経緯が必要なのだとなんとなくわかる。


これは家では勉強できないが、塾やカフェで勉強する論理に似ている気がする。家というものは誘惑のかたまりである。「テレビ」「ゲーム」「漫画」代表的なものはこの辺だと思うが、集中しにくい環境なのである。しかし一旦家を出ればやることがなくなって、「まあ…うん…勉強するか…」となる。



ただしシャワ行も他にすることがない状態という点では同じである。
ただし、滝行とは緩さが違うゆえに、より転じやすい思考がかわる、というだけだ。
滝行は他のことを考えようものならば「痛い冷たい」という感覚によってシャットアウトされ、無にならざるをえない。
シャワ行にはそのシャットアウトする原因がなくただひたすらリラックスした状態になるためぽけぽけとマヌケ顏で考え事に興じることになるのだ。
止めるものがないのだ。





ということをシャワーを浴びながら考えました。
こうして水道代ガス代が増えていくのである、気をつけたい。