七味をかける

日がなごろごろ


元気が出ないので暗い話をつらつらとかく


大学の頃友人と好きなアーティストを「好きだ」と言いづらいという話をした

その時私は椎名林檎チャットモンチーが「好き」だった
だけど本当に好きな人に比べたらライブも見に行ったことがなくて、アルバムを全部聴いているわけでもなかった
私にとって音楽は食べ物のようにそばにあるものでいて、偏執的にはなってはいないもので、
ともかく、どこかしら外様のような仲間外れのような気持ちを抱えていた


おんなじようなことに、ピアノがある
小一から大二までピアノを習っていた
年下の子がどんどん上手くなっていって、同じ時期に始めた子や年上の子達は受験や他の何かを理由に辞めていった(人は変わるものなので)

気づけばただなあなあに続けているだけの私がいた
レッスンに行くのもサボっていたりして、本当に良くない生徒だったと思う
それでも、ピアノは好きだったのだ

結局のところ、怠惰で、面倒くさがりで、格好悪い性質があるという話だ
本気を出したところで報われるかわからない
好きになったところで、ずっと追い続けるのはパワーがいる
それならば、少し距離をとる方が言い訳もできて責任を負わなくていいから楽なのだ

少しだけその所謂逃げる癖のようなものはマシになったかもしれないが、
逃げない人間を見るとやはり羨ましくなる
どこからそのやる気や自制心は来るんだろうか


全能感と無力感なんてものは交互にくるものだから、
というふうにどこかで折り合いをつけるしかないのだ


海の音を聞いている

大抵の人間は親しくなると距離感が縮まる
それはよくもあり、わるくもある
私は他人のことの方が多分、許せる人間だ
近しい人の方が許せなくなっていって、理不尽にも「なんでわかってくれないんだろう」というような気持ちが出てきて、悲しくなってしまうのだ
放っておいて欲しくて、たまには、近くに来て欲しいのだ


そういうわけで何も聞こえないようにイヤホンをえい、と耳におしこんで、押入れの中で決定的な何かを探している、
耳が痛くなっても。