七味をかける

日がなごろごろ

行きつけの店への憧れ


行きつけの店ってカッコ良くない???




画像はイメージです。


大人への憧れというものがあるので(相対的概念であるのでたぶん小さい子から見たら私は大人にあたるのだろうが)、「行きつけの店」というものにもなんとなくイイな、と思っている。


私にとってピアスもそうだったし、コーヒーのブラックもそうだし、タバコも「大人」的なものである。
そうして「行きつけの店」もその記号の一つなのだ。


「行きつけの店」がなぜカッコ良く見えるのかを考えてみると、たぶんその人が確固たる自分を持っているように見えるのではないかと思う。
変ゼミの登場人物である市河さんが「どんなこだわりも突き詰めればイズムになる」と言っていて、読んだ時にまさにそれだー!と得心がいった覚えがある。
おしゃれイズムがおしゃれなのはイズムのある人が出るからではないか(そのまんまやないか)(どういうことやねん)。


ともかく、「行きつけの店」に憧れている。
そしてそれはできるならば「バー」か、「喫茶店」がいい。なんとなく。偏見。パンケーキ専門店ではどうにもそう思えないのはなんでだろう。やっぱ偏見だな。


というわけで喫茶店に行った。この店は二回目。
落ち着いた感じ。静かな店内。良いぞ。良いぞ。
と思ったけれどもコーヒーを飲みすぎるとお腹が痛くなるので、イマイチ決まらないのだった。
次はクロックムッシュが食べたい。
目指せ常連。


背伸びにしか見えないのだろうけれど、背伸びをし始めないと、それに慣れることは永遠にないのではないかと思ったりする。
慣れることと好きは似ていて、例えばよく食べるから好物なのか、好物だからよく食べてしまうのかというのは、ちょっと考えてみると微妙なところだ。
家のご飯が一番好きな味になるのはそういうところにあるのではないか。とか。



ある日「行きつけの店」もしっくりくるタイミングが来る。と、思いたい。

風邪が治らない


病は気からというけれども、正月なにもしていない(観葉植物の水やりしかしていない)のに風邪をひいた。

こたつと布団と食卓の往復ばかりしていたのが原因なのか、自堕落な生活に神が鉄槌を下したようである。ごめんなさい。蟹おいしかったです。すきやきもおいしかったです。

というわけで現在もインザ布団なのであるが、そうなるとSNSサーチャーとして活動してしまう。現代っ子か。同学年の子は頑張ってるなあ私も頑張らなきゃなあ、いやしかし鼻水がとまらないなあ。

鼻水が出る仕組みについて調べている場合ではないのだよ。
録画も見なきゃだし、メールの返信をしなきゃだし、年賀状の返信もしなきゃだし、来週再来週と試験にはいるし…
ごほごほ。
忙しいと思えば全てが忙しくなるので、目の前のことを一つ一つ消化しなければならないのですよ。

ゆるゆるとエンジンをかけたいところであります。
とりあえずお風呂に入らなければ。

だらだらすること選手権ならば優勝の自信がありますぞ。いやしかし、休みとは偉大なり。


とっとと風呂〜〜!
はい、行きます。

名前をつけるという行為


観葉植物を買った。




なんで買ったかというと、完全に衝動のせいだ。
「クリスマスプレゼント買ってねえなあ、なんかいい感じの雑貨屋あんなあ、嬢ちゃん、随分とかわいいじゃねえか!うちの子になるか!?」みたいな感じである。

うちの母も植物がすきで、やたらと育てていて、よくもまあ気力が続くもんだと思っていたのだが、歳を経るとそういうことに興味が湧くのかもしれないと思った。閑話休題

それはそれとして、観葉植物には名前をつけなければならない。ぬいぐるみと観葉植物には名前をつけると相場が決まっている(私の抱き枕のぬいぐるみにはうさ太郎という名が付いている)。

名前をつけると当然愛着が湧く。
あだ名をつけるという行為もそうだが、一気に「内輪感」「自分のもの感」「特別感」が出るのである。言葉には力があるので、そのものの姿をハッキリと映し出すようになるのだ。名は体を表す。

さっきアメトーークを見ていたのだけれど(うちには積み重なった五年分の録画のアメトーークが存在する)、有吉先生が品川さんのことを「おしゃべりクソ野郎」と称した途端に品川さんは「おしゃべりクソ野郎」になったのだと思う。
そして「どうした品川」で「品川さんて韓流みたいな髪型してた!どうかしてた!」となる。

行為にしてもそうだ。
またアメトーークの話になるが、その中でも私は「ひとり暮らし長〜い芸人」が大好きで、この会では「寝室殺し」「酔いどれアマゾン」「フローリングオンザライス」などといった特殊なワードが多用される(詳しくは見てほしい、めっちゃ面白いから)。
「一人暮らしあるある」を必殺技みたいに言うのだ。
要はほとんど言葉のまんまなんだけれども、みんな最初聞いたときは、「えっ!?」と反応する。耳慣れないワードだから。

でもワードを作った途端、それは人の認識下に置かれる特殊なものになるのだ。
理解できるけれども言葉になっていなかったものが言葉になり、それについて理解し、アハ体験というのか、ストンと落ちたように「あーそれね!」「なるほど!」となる。「分かる」。

だから名前は重要だ。
言葉は人の心に爪痕を残すし、固有の名称をつけた途端にそれはそれでしかなくなる。代替不可能な「個」になる。

私はポケモンにも名前をつける派だ。楽しいぞ。




という訳で今日もまっちゃん(品種、ガジュマル、正式な名前、マツバ)の世話をしに行かなければならない。
すくすく育てよ。

フリーペーパーを作りたい


フリーペーパーにずっと憧れている。


というか雑誌とか、なにかしら、媒体、メディアというか、そういうもの。そういうものを作ってみたいな、とずっと思っていた。
昔はそれを漫画という形でアウトプットしていて、中高と、部活で下手の横好きではあるが本を作っていた。
思えば小学生の頃だって(しかも自分で製本して)作っていた。



ので、やっと作りました。

七味をかける、フリーペーパー支部。
ファミマ、ローソン、サンクスなどでネットワークプリントできます。マルチコピー〜〜〜〜!
番号は5TUUDDL79Gだよ。A4サイズ、モノクロで印刷してね、20円だよ。
初回テーマは食べたいけどギリギリまで寝てたいよね、という思いを込めた、「朝食」です。


もうちょっと面白い文章かきたいな〜〜!
面白いことしたい〜〜〜〜!
創作欲がやっと出てきたので、頑張りたいですね。うむ。今後も続けていきたいです。

小松菜奈ってかわいすぎるんだ


ネバヤンの「お別れの歌」、聞いた??PV見た???小松菜奈サイコーじゃない!?

そもそもにしてネバヤンが最高であるんだけれどもネバヤンプラス小松菜奈というなんだ私にとって得しかない組み合わせは、と思うわけです。

「渇き」の退廃的な、それでいながら小悪魔的な、小松菜奈で恋に落ちてDVDを何度も借り結果延滞したのはいい思い出ですが、最近の「溺れるナイフ」のツンギレデレ小松菜奈もまた良かったですよね、椿をくわえるシーンなんか、なんだ、もう、かわいいし、美しいし、小松菜奈のまつげになりたい。という旨の発言をしたら友達に「おこがましい」と言われたので近づくのもはばかられる存在なのかもしれない、小松菜奈は。語彙力が思わず死ぬ。

というわけでネバヤンの「お別れの歌」についてなんですけど、
小松菜奈の彼氏になりたすぎる人生だったと言わざるをえないですね、ええ。
ふざけあって蹴られたいし、んふふって笑われたいし、ビールをくーって飲んでる彼女をみて「おっさんくさいよ」って言いたいし「うるさい」って言われたいし、浜辺ではしゃいでる彼女に目を細めたいし、「なに撮ってんだよバカ」って言われたいし、寝顔を見たいし、いっぱい喧嘩してそれでも仲直りして一緒にいて、強がりも見透かされて、君のことは僕が一番分かってるし、僕のことは君が一番分かってるって思ってて、だけれどもそれはある日突然終わりが来て、
一人きりの部屋で動画見直してああこんなことあったなって、
言えなかったことがたくさんあったなって、
ああ君はこのぬいぐるみが好きだったなって、
気付いたら頬を涙が、


小松菜奈サイコー〜〜〜〜〜〜!


ついに耐えられなくなってブログにかいてしまった、庭には犬を走らせよう…


危うく投影しすぎて精神が崩壊するところだった、冷静になれ。


それにしてもネバヤン叫んでるなあ、これ。

Mくんと私の葛藤の話

いやまあ重要事項なんだ。

でもほんとにこれはただの個人的記録だから、もし、私と知り合いだったら読まないでくれ。
知り合いじゃなくても、奇特な人以外は読まないでいい。






世の中の大学生がどのくらいの割合せっせとそういう恋だの愛だのにうつつを抜かしているかは分からないが、私もその一人だ。菅田将暉似(めちゃめちゃかなりの贔屓目)(友人にいうと大顰蹙をうける)のカレピがいる。

ちなみにふかわりょうに似ているとの説もある。ジャミラという説もある。橋本環奈という説もある。いやお前どんな顔してんだよ。


ともかくとして、恋愛、それだけが素晴らしいって訳ではない。絶対にない。そんなんじゃ人間様は結局生殖という本能から逃れられていないというつまらない結果になってしまう。恋愛が生殖ってだけってわけでもないけど。

中高一貫女子校の闇かもしれないが、大学に進学すると2パターンの女子大生に成長することが多い。恋愛に翻弄される女子と、男の子ガン無視の女子である。

さすがに極論かもしれない、いやでも聞いてほしい。中高一貫女子校、それなりに男どもから隔離された空間、いるのはおじさん教師ばかり。
となれば、チョロくなるか、ガードが固くなるか(あるいは面倒くさくなる)、というのが世の中の道理である。諸説ある。諸説あるって便利な言葉だな。


ここで付記しておきたいのは、足の引っ張り合いが止まらないのが人間だということだ。人によっては男の子と戯れる姿を見て「あいつも女になっちまった」と吐き捨てるように言うのである。彼氏を優先した途端「付き合いが悪い」となるのである。怖。いやある程度は分かるけども。男の子だとどうなんでしょうか。そもそも言わないのかな。
なんだかんだ人は自分の身が一番可愛いのかもしれない。



でもでもでもでも(小島よしお)、やっぱり私だってカレピの自慢したいぜ。花束作ってくれる彼氏なんかサイコーじゃないか?

彼氏と表記するよりカレピの方がなんか馬鹿みたいではずかしさが多少緩和されるよね。え、私だけ?(だいたひかる


というわけで本日は私めのカレピことMくんの話をはさむ。ネット上くらいいいじゃないか。あれも余談これも余談。


まず、とりあえず印象を良くしてみるワードを並べてみる。

①長野出身、花屋の息子、綺麗好き、身長が高くて細身、陸上部だった、散歩が好き

なんかいい奴っぽいし、カッコよさそう。
では次にマイナスワード。

②喫煙者、ロン毛、肌荒れ、原チャ、単位落としがち、メンヘラに好かれそう

メンヘラに好かれそうは完全に偏見だが、なんというか八方美人なところがあるので、彼は。
マイナスワードを並べると一気にサブカル感売れないバンドマン感が出てくるから不思議である。



Mくんとは2年ほど前に知り合った。ゼミが一緒だったのだ。正直第一印象はサイテーである。こんなテキトーな奴がいるのかと思った。遅刻してくるわ、生返事だわ、変な奴だと思った。

後々彼がアウトローになりたがりであり、演じているところがあるということが発覚するのだが(そういうとこ好きだけど生き辛そうだなって思うし、気取っている野郎だなとも思う)、そのときは本当に変な奴だと思った。


その後ゼミ合宿を経て多少仲良くなり、ノートをめっちゃ貸したりし、飲みに行くようになった。話してみると、めちゃくちゃ価値観が合う奴だということがわかった。それから思ったよりも真面目に色んなことを考えていて、「男の子」の面があって、不器用で、気にしいだということも知った。

女子校出身女子大生はチョロくなるかガードが高くなるかの二択であるのだが、私は前者であった。なんかまあ、やっぱ、仲良くなるといいなって思っちゃうよね、えへへ。
なんやかんやで付き合う。急展開か。打ち切りの漫画か。

詳しくはドラマ1クール、みたいなことになるので割愛。


ともかくとして、私はMくんがまず人間として好きである。その上で恋愛的に好きなのである。なんかかわいい生き物(属性男子大学生)としても見ている。惚れた欲目といってしまえばそれまでだけれど。


恋愛とか、好きって感情は、人によって形が多分違うので一概には言えないだろう。複雑な欲求と欲望が絡んでるんだろうなあと思うわけで。結局は恋をしてるって勘違いをずっとし続けられるかってところに左右されるのだと思っている。

結構私の周りには、男の子なんてつまんないよ、なんて言っちゃう子がいる。それはそうなのかもしれない。それも価値観だから。

だけど少なくとも、私はおもしろかったり尊敬できる男の子、男の人はいる。Mくんに限らず。その中で好きになる好きにならない、はもちろんある。


確かに人間関係ってクソ面倒だし、恋愛って最たる面倒くささを誇ると思うのですが、人生楽ありゃ苦もあるので楽しいわけで、恋愛するくらい許してほしい。男の子にも面白い人いっぱいいるよ。それはほんとに、恋してなくても。

大人になると恥も外聞もあるから困っちゃうね。


私がMくんのことめっちゃ好き、って話でした。え、結論それ?

漂流教室を聞きながら打ちました、さらば。


追記、なんか口調がうつってるらしい、と指摘されてとても恥ずかしかったのでこの文だけでもと思ってちょっと打ち直した。

追記②、時効と思って公開し直しました。