七味をかける

日がなごろごろ

無題

6/2
イヤホンと
止まる足並み赤色で ヨーイドン待つ
音をあげてよ


5/31
星ぼしはちと淡すぎる
人工の 目に痛い白 向かいのアパート

5/27
川と橋 信号 標識 ランドリー
右手お留守じゃきつと迷子ね

5/18
知らぬ間に よごれ切り傷ささくれと
どうやら効かぬハンドクリーム

5/3
翳りゆく部屋の暗さに慣れたので
かつての我が家今は実家に


4/22
窓あけて吹く風涼し
寝転がりたべるオレンジ はるは過ぎゆく

4/15
ひさかたの夜ふかし夜あけ雨の音
漢字に頭悩ませねむる

4/1
欠けている満月うえのかえりみち
過ぎたることもなしと思えば


3/27
ワンカップそこから見えるももいろは
ひらりはためくスカートの色

灰落ちる燃え残っているうすあかり
どこかなにかに似ているように

欠席の卒業写真
それもまたよい思い出と つよがりを吐く

3/13
漫喫やカプセルホテル 特有の
ひとの雑音 きらいではない

3/8
ゆめをまだみているきっとずっとかも
駅のホームにハンガー落ちてる

異国の地離れどもまだ耳慣れず
品川駅で ソーリーと言う


2/16
うすあかりあたる横顔半目かな
寝言をぽつり夢うつつ君

災い転じて福と為してほしい


六月になりました


梅雨が一番嫌いかもしれない、雨は叙情的だがそれは見てればの話であって振られてみればたまったもんじゃない。
この時期はそのうえ微妙にあつく、非常に苛立つのも仕方がないことではないだろうか。
だから電車の中でデカイハット(ハットと呼ぶのも腹立たしい)をかぶる女に黙れとおもうのも当然だし、ダメージジーンズから覗く膝の毛をちぎりたくなるのもよくあることなのだ。口を閉じろ。
さらにケッタイなことに、指のささくれは治る気配がなく、辞職してやろうかという気にもなる。
腹は減ったし汗ばんでいる。
クールビズを推奨するくせに始業前十分のエアコン
に喧しくなるのは地球に優しくないので酸素を吐き出さない限り一度よく考えてから出直してほしい。
日々のそのようなあれこれは口内炎のようなもので、小さくても気になるのだが潰すと悪化したりするので完治するまで放置が吉である。
微妙に韻を踏んでしまってさらに病み。
腹が減った。
兎も角として自分の機嫌は自分で取らねばならない、赤子ではないので。
ケーキでも買いましょう。



研修を終え1ヶ月働いて得た教訓としては「空気を読む」「とりあえず聞く」です。修行邁進。
それ以外で言うと上司の口癖が言えるようになりました。無駄〜〜!

学生時代より勉強してるし必要に迫られた勉強は楽しくてワロタ、ワーカホリックなんじゃない?
自己承認欲求の賜物である。ヤバ。ウケる。
脳内にギャルを飼うと生活水準が上がると言うライフハック




思ったよりも仕事はできますがそれでもできないことの方が多くまったくやんなっちゃうよね。
トゲナシトゲアリトゲトゲ。




なにしても生活は続くのでできるだけみんな幸せでいてほしいなあと思いました。泣いちゃうよ。

したがき大特価感謝セール


徐々に大学を卒業したことを受け入れ始めている。
五月になったところで下書きを一斉処分します。



1
この間テレビでメドベジェワが願いが叶うなら何がいい?と聞かれ、「2人にロシア語を喋らせたいわ!」と言っていてカワイー!と思ったが、そのあとお返しとばかりにその子が「足が治るように……」(と言っていて思わずそば屋で涙ぐみかけた。涙腺がゆるすぎる。恥じるべき。
わさびが効いていたということにしたい。




2
電車に乗っている時が一番物事を考えている気がする。
小中高と電車にあまり乗らずに生きてきたが、大学で僻地に飛ばされ、あの無為な長いただ揺られている時間を得た。
雑音と他人によって空間ができているので、そして行動が限定されることによって思考の海にダイブ、というのがいつもの流れである、そして恥ずかしながら乗り過ごす、というのもまたいつものことである。
願わくば他人が何を考えているのかも知りたいところである。とまた電車で考えている。



3
最近同居人は花粉症になったが「風邪が重症だ」と主張し続けている。
バーで働いていた時客が「俺は風邪じゃないと思った時から風邪にかからなくなった」と意味のわからないことを言っていたが、病は気からとも言うのであながち間違いでもないのかもしれない。
認知しなければ事象はない、が恥ずかしいやつだなあという感じもする。
開き直りというのはある種潔いようで、どこか滑稽だ。はたから見てる分にはおもしろい。




4
チャットモンチーがすきである。
そうは思うもののなんとなくそう言えない、断言しづらいのは何故なのだろうか。「もっと好きな人いるだろうなあ…」と思ってしまうからなのかもしれない。詳しくない自分が恥ずかしいからなのである。
「かなあと思う」「かもしれない」というのが口癖なところからして、自信のなさが見て取れる。
だいたい、言ったもん勝ちの世の中なのだから正々堂々としていればいいのに、とは思うものの他人の目を気にしているのだからうまくいかないものである。


5
同期に「カフェっていうより喫茶店って感じだよね」と言われた。
悪い評価、ではないが、良い評価でもない気がする。カフェにいないということはつまり王道ではないということだ。定義が違うから。
実際カフェよりも喫茶店が好きだが、そこに「カフェを選ばない私」という意識は存在しない、とは言い切れない。確固とした信念があるわけでもない。
それを言い当てられたようでサブカルクソ野郎と言われたようでとても恥ずかしい。的を得ているのだけども。






最近の気づきは、どんなに悪ぶっててもくつ下が小綺麗な奴は実際ワルにはなれない、です。

おわり。

節約計画をする


浪費家であることはやめられない



お金お金お金、
と入社研修が始まってからずっと考えている。


欲しいものにはお金がかかるし、
当然生活にもお金がかかる。
ごはんはたまには外で食べたいし、
時々は旅行もしたい。


なので頭の中でそろばんをはじいている。
そろばんできないけど。

こういうときやはり意識はおぼろげになり、環境やら経営理念やらの重要そうだがおそらく私にはあまり関係してこないであろう話は左から右へ流れていってしまい、そうして時が過ぎるのを永遠に終わることのない計算と共に過ごしている。
そして大抵そのような計画は見るも無残に崩れ去り、跡形もなく買おうとしていたものやら貯金やらは夢のまた夢となっていくと経験則から予想できる。
しかしながらホテルに帰りスクワットをしながらよぎるのはやはり諭吉であり出費と収入を行き来しながら私を翻弄する。




そういうことをなぜ考え始めたかというと、
入社研修の初っ端に自己紹介をやらされ、男の子が節約と猫が趣味と言っていて、それもアリだな〜〜と思い、
また人事が貯金保険クレジットカード云々について喋っていたからです。


そしてまた私はおそらく反省が足りておらず言い訳が多い人間であると猛省しましたのでどうにかしたいなあとあきらめとともに希望しました





ともかく新しい趣味として倹約そしてメモ魔になることを目指したいなあと思った


ぐだぐだと読まなくてもいい文章を羅列し、過去の記事を読み返したところどうやら前の春も私は似たようなことを思っていたようで、阿呆かよ、鶏か、と思った


ひとまず言えることは社会人の休日は思ったより秒で過ぎて行くということだ
社会人と言えるのか甚だ疑問であるが



タイムイズマネー、初心を忘れるべからず





追伸①
あと、これは発見なのですが、自分メッチャ普通だな、と思いました。
島耕作も地道(その割にはすぐ女を抱くし出木杉野郎だが)が自分に合うと自分のことを評価しているし合うやり方でやっていきたいですね


追伸②
新居、引っ越したので清々しい気分です。

退勤した


バーを辞めた。


2年半勤めるとそれなりに愛着も湧くわけで、
知らない常連の方が少ないわけで、
一応今日送別会だったわけだけど20人弱の人が集まって大いに幸せだなあと思った。


ベロベロに酔うこともあって辞めたいなあなんて思ったこともあるけど、やってよかったね。


引っ越して、バイトを辞めて、学生はついに終わる。


皆さま、大井町カクテルバーロマンにぜひお越しくださいませ。

カラオケに行った


卒業するらしい



旅行をしてバイトをして送別会があって
なんでもないように友達と会っても次の日には会社に課題を提出して、
あー学生終わるんだなと思った

まだ図書室に本返してないし、バイトも辞めてない、ウケる


大人になりたくね〜〜〜〜

サラバ青春

恋愛って必要なのか


オタクほど疑問を持ちがちな気がする。



単純に私の友達がほとんどオタクということもあるけど、それにしたってわりと考えるべきテーマだと思っている。



まず第一に、恋愛をしたほうが社会的・生物的に「ふつう」に属することができるので、多くの人間は当たり前に恋愛に向かうのではないかと言える。

それは恋愛の理由を探そうとしたときに大概のひとがまず挙げるものであり、疑問を挟む余地はあんまりない。



でも無意識にその選択をしていることを考えるとそういう理由以外のこともあるのではないか。


例えば一つとして承認欲求がある。
前提条件でいった社会的な承認欲求は対外的なもので、恋人への、というよりは友達であるとか家族に対しての承認欲求だ。
これはどちらかというと、優越感だったりあるいは疎外への恐れだったりする。立場的なもの。


それで彼氏への承認欲求っていうのはアイデンティティの確認というか充足感みたいな意味合いが強い気がする。
1人で生きていくとしたら自分の考えや感情を肯定するものがない。だからそれを他人に求める。


友達で良くない?とか、男女の恋愛じゃなくても良くない?とかの疑問が今度は出てくる。
それはメチャクチャ正しい。
(同時に男女の恋愛でも別にいいよね、とも言えるけど。)


それでもやっぱり多くの人は異性間の恋愛をする。


生殖本能以外の理由を考えると、なんとなくだけど比較しやすいからかも、と思った。
相対性というか。

恋愛は個として生きる分には不必要だし、デメリットも多い。
それでも承認が必要だとすると単純に、男女のほうがわかりやすいんじゃないか。


どれだけ個体差があるといっても、同性間よりも異性間の方が差は出やすい。
まず見た目に分かりやすい。
次に性格に差がでやすい。


そうなるとわりと承認が楽だ。
はなから違っている個体に対しては人は受け入れやすい。
「女だから」「男だから」しょうがない、ということをしやすい。立ち位置が違うんだからそういう考えもあるんだなあ、となりやすい。
お互いの考えが違う形のままでも尊重することができる。

同性間だとどうしても似た者同士があつまりがちだ。
女の子の社会は特に同調圧力が強い。
これが撤廃されている友達がいれば別に彼氏はいらないんだろうと思う。友達で彼氏の機能は成立しているから。


恋人を作ることに肯定的じゃない人はきっと、そういう男女間の考えの差異が気持ち悪いって思うからじゃないかと思った。
文化が違うんだから理解できなくてもしょうがない。ジェンダーとしてみたら怒られそう。でもとりあえず現在はそういう傾向があるよね。



あともう一個、男女間の恋愛を人がする理由としては、考えることが面倒くさいからだと思う。
社会的に当たり前っていうのもあるけど、男女どちらでも愛せますってなると、フィルターをかけなきゃいけない。

いままで友達としてみてた人は本当に友達か。
同性のほうが友達はだいたい多い。
その人達を頭の隅で恋愛対象、性対象として置き換えるのって結構だるくないですか。
そういうのの防衛本能が一つあるんじゃないかと思った。

そして、同性の恋人ができたときもなかなか面倒くさい。
異性の恋人のときに気をつけるのは、異性の友達と2人きりで遊ばない、とかだ。
でも同性だったら?何に気をつければいい?
結構めんどい。嫉妬しない人間なんていないし。

それで同性の方が考え方が違ったときに逃げどころもないのもある。
「男だから」「女だから」って結構便利な言葉だ。




長々と書いたけど

①恋愛のメリットは社会的にも、生物的にも、自分の承認欲求的にもある。

②恋愛のデメリットは面倒くさいところで、異性間の方がまだ楽で、同性だともっと面倒くさい。

ということを言いたかったのでした。


別に恋愛は必要じゃないし好きにしていいと思うヨ…。








一つ愚痴を言うとカレピのはなしできないのは結構面倒くさい。
友達には友達の話していいのに友達には彼氏の話をしたら駄目な(というか気を使う)世の中、ポイズンです。
もっと楽に考えさせて〜〜〜〜
嫌味じゃないし優越感でもないから…

セクハラは相手が嫌だと思ったらセクハラなのでどうしようもないんですけどね!



以上です。