七味をかける

日がなごろごろ

朝まで騒いで眠った


自分のことを伝える、他人のことを知ることは隔たっているから美しくかんじる


1.
たくさん過去に見ていたかったコンテンツや、昔からきっと好きになれた人というのものがある
一方で自分の中で確かに好きなのに言うと少し恥ずかしくなってしまうものがあって、ただもっとそれを好きと言わないことはそのものに対して申し訳ないという気持ちになる
オタクではない人にオタクが好きだと言われて複雑になってしまって私は変な顔をすることしかできない

他人のことの方がうまく受け入れられることもある



2.
好きな聖書の一節に、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」というものがある
そして、そのあとに「隣人を愛しなさい」と続く。

たくさんの受け取り方があると思うけれど、これを思い浮かべるとき私は他者が違うものであって同じものであるということを感じる
教会にいるときのように晴れやかで静かな気持ちになる



3.
最近ドニー・ダーコという映画を見た
そのなかで、起きた物事、例えば「いたずらをした」ということには一つの感情のグラデーション(映画内では愛と恐怖)だけでは測れないということを主人公は言っている
物事を簡単にすることは必要で少し寂しい


4.
ファイトクラブも見直した
正しさは何かということを突きつけられるときは大抵、葛藤と受容(もしくは昇華)が描かれる
自分の身に起こってもそういうプロセスをたどる気がする

それはそうと、サブリミナル効果とフラッシュバックは脳内で同じように処理されている感覚があるな



5.

「瞬きが多いね」といわれた

さらにいうと、「考え事をしているときに特に多い」そうだ
本当に突然言われるようになったのだが、全くもっていつからなのか記憶がない

むかしは「目を合わさないね」と言われていた
今もあまり目を合わせることはできないが、仕事の時だけやむなく人の目を見るようにしている


そのときの全てを記録しようとして、大仰にまぶたを閉じることがある

まぶたを閉じることはシャッターを切ることだ
大きななにか、うまく言い表せないものに出会ったとき
普段より少しだけまぶたを長く閉じてそれをとどめようとする

あさ、うすい水色ともも色がまざったような景色を見るとき、わたしはまぶたでシャッターを切る




寝ることが好きだというそれだけでつけたスヤリという名前は結局結構気に入っている


今日は「時には昔の話を