七味をかける

日がなごろごろ

残り物のカレー


母は冬至に必ずかぼちゃの煮物を作るような人である。決まり事を大事にする人なのだ。

そういうわけで、実家のカレーといえばビーフカレーだった。角切りの牛肉に、乱切りのにんじんと、くし切りの玉ねぎ…実にパッケージ通りのカレー。少しばかり変わっているところといえば、じゃがいもの表面はカリッと香ばしく焼かれていて、後から好きな分だけ追加する式をとっていたところか。


そのようなご家庭事情もあり、私の中では結局王道のカレーが一番おいしい…のだが、意外と王道のカレーは面倒くさい。
まずジャガイモを剥かねばならない。面倒だ。にんじんの皮もだ。面倒である。玉ねぎは切るだけか、と思いきやそこそこ炒めて曖昧な飴色とかいう基準に従う必要がある。勘弁してほしい。
そして少しばかり、いや、それなりに牛肉は高い。
家を出てから二年、牛肉を買ったことは両手で数えられる程度しかない。パッと何を作るか迷われる牛肉よりも、とっつきやすい豚こま、鶏肉各種に手が伸びると言うのは自然な話である。何より安い。
そう言うわけでパッケージに記載されているアイツは幻想カレーなのだ。

まあ、そうは言ってもカレーのルーはその企業努力によってそのお安いお肉であろうがなんだろうがそこそこの味に化けることができる。ありがとう、ありがとう…。
ナスとトマトとピーマンがあれば、夏野菜カレー。そんな時は豚こま肉が合う。
ヨーグルトの賞味期限がきれていれば、バターチキンカレーを作るのもいい。
冷蔵庫にある大抵のものをカレーは受け入れてくれる。



話は変わるが、一年前は恋人と住んでいた。
色々な経緯を経て別で暮らすことになり、冷蔵庫の中には中途半端に色々なものが余った。最後の最後に残っていたのは、たまねぎ、長ネギ、キャベツ、塊のベーコン…。
引越しを控えて、もうフライパンもしまってしまい、鍋一つと器が二つ。食材たちを捨ててしまってもよかったのだが、貧乏性の私は全部を煮込んでカレーにすることにした。とにかくその時はもうなんでもいいわ、という気持ちがあった。きざんで、いためて、煮込んで。

輪郭のはっきりしないカレーはあまり美味しくなかった。
「キャベツはあんまりあわないかも」と少し苦笑いだったのを覚えている。慌てて、おいしいと取り繕っていたのも覚えている。
だから、いまでも残り物で作ったカレーは引っ越しの日を思い出させる。




彼が作れる三つの料理がある。三つしかない。
鍋、チャーハン、カレーである。
しかもそのカレーも、王道のカレー。じゃがいも。にんじん。玉ねぎ。
転職中の彼はお金がないので自炊をしている。
だからきっとその三つは登板していることだろう。

それでもやっぱり次に作るならば、やっぱり、王道のカレーを食べさせてあげたいなと思っている。